最初に。

僕は今、自分の個別指導塾で学校を選択しない子達も支援し、

その保護者への子育てカウンセリングをしている。

信頼できる友人である場合に限り、その書籍や不登校生が主役のイベントも応援している。

 

 

だけど、

不登校について、肯定派でも否定派でもない。

学校についても、同様に、肯定も否定もしない。

 

 

なぜなら、全ての事象は一括りには できないことだから。

つまり、

一人ひとり、一つひとつ 全く背景・状況の異なる別々のことを、

「一般化」して論ずるようなことでは 決して無いということ。

 

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これを言うと驚かれるんだけど・・・

そもそも僕は、ずっと前から不登校生を応援している訳ではなかった。

つまり以前は、

今のように多様性を受け入れて どの立場も大いに応援する中庸な心を持ち合わせてはいなかった。

 

 

僕の息子は学校が大好きで、勉強だって何も言わなくても自分でやる子だった。

親として激高するような理不尽なことをされても、彼はそれを許し受け止めて学校に行った。

息子だけでなく、僕の教え子には血のにじむ努力をして自分を成長させた生徒があまたにいる。

僕自身も、学生時代いじめにあっていた時だって学校を休まなかった人である。

嫌いな勉強や宿題も、どうすれば楽しくゲームのようになるかを考えるのが趣味だった。

 

だから、正直に言うと、

元々は不登校に対する興味関心は薄かった。

 

 

誤解を恐れずに言うと、今でも、

不登校を大々的に打ち出すイベントとか、

元不登校の〇〇〇、学校に行かずに〇〇〇 学校なんて不要だ …などのフレーズにも辟易することもある。

 

 

だって、別に元不登校だろうが、なんだろうが、

今 あなたが幸せに生きて、周囲を幸せにしていれば それでいいじゃんよ って思う。

その人が「実力」で有名になって 何かの取材で聴かれたときに、

「あ。そういえば、僕 実は不登校だったんです」って言う人の方がカッコよいし、

それこそ世の不登校生の希望になりそうでしょ。

そんな肩書捨てて、学校社会を生き抜いた人間と同列で勝負すれば良いのに と本音で思う。

不登校生だけが人生に悩んでいた訳じゃあないから。

 

 

それにね、学校でも何でも 僕は人生は一生学びだと考えているし、

先祖や親が繋いでくれた自分の命を、一生懸命使うことが大切だと考えている。

 

だから、公教育は大切だと考えているし、

真面目に頑張って自分の能力を高めて、日々いろいろな悩みや葛藤がある中でも、

それを乗り越えて試験や課題に向けて時間を削って頑張っている生徒たちを誇りに思い、

今も塾で 熱烈応援している。

 

 

では、

なぜ僕は 今 不登校生の支援をしているか

 

 

それは、すぐ身近にいる不登校生や それで悩む保護者の方々に大勢出逢ってしまったから。

その想いや悩み、存在を 知ってしまったから。

ほんのわずかな個性の違いだけで、今 学校で頑張りたいのに頑張れない苦しさを、

知ってしまったから。

・・・

そしてそれは、ちょっとしたキッカケで、大きく好転することも 実感したから。

 

 

僕の個別指導塾は立ち上げから今までずっと、口コミのみで満席が続いてきた。

不登校のお子さんが、有難いことにミルミル変化したり、再登校や前向きに勉強するようになった。

何らかの学習障害を抱える子の個性に応じて対応したことで自己肯定感がアップしてきた。

そういう例が続出したので、口コミで多くの不登校生と出会わせていただくことになった。

 

 

子育てカウンセリングでも、不登校や学習(発達)障害のご相談が多く、

算命学で見れば それらも含めてその子が逞しく幸せに生きていくことが想像でき、

当事者である多様な子ども達と普段から接しているからこそ リアルなアドバイスもできる。

結果的に、そのテーマのご相談が増えていった。

 

 

感受性が強くて繊細すぎるあまりに、いろんなことが気になる子。

世の中や教師・親を達観して、今学校で授業を受けることはデメリットの方が多いと言い切る子。

人と異なる個性を受け入れてもらえない、または皆の個性に合わせられずに苦しむ子。

がんばっても覚えられない、読めない、頑張っているのに… と悔しがる生徒の涙を見て来た。

 

 

その真っただ中にいる子達は、

他人からも家族からも自分自身でも自分の現状を受け入れられず、

ただただ 一人の人間として 素の性格や気持ちをさらけ出したり、聴いてくれる場所が少ない。

苦手なことを強制したり急かせたり叱責したりする環境が未だに多かったり、

忙しすぎる世の中にあって、

その子個人とじっくりと向き合える「個別指導塾」という形態は合っていたのだろう。

 

特別支援でも無く、学校に行けない子が行くフリースクールでも無く、

能力を引き出す「個別指導塾」というハコは、一般化されたり レッテルを貼られることも無いから。

 

 

 

彼らは、

たまたま今そのタイミングでは、勉強や学校・人に対するご縁が無かった。

ただ それだけである。

人間は皆、自分を成長させたい生きものだし、人に喜ばれたい生きものである。

そのために学ぼうという意志を持つと、僕は確信している。

 

 

ただ、たまたま 現代の日本は、

暗記の知識重視の受験をハードルと課した、「正確に一つの正解に最短で到達できる会社員養成」

を主目的とした教育から未だ抜け出せていないというだけ。

 

そのために、

彼らは自分の個性を否定して、政府や多くの大人たちが求めることに違和感を感じすぎて受け入れられず、

かと言って 代わりに何をすれば良いかも分からず、目の前にあるゲームや動画閲覧等に時間を捧げる。

そんな自分に自信を無くしていく。

 

 

それって おかしいよね。

もしも自分の子どもが そんな多感な個性だったら。今の学校に合わなかったら 正気でいられる?

 

 

僕は多様な親子と長年接する中で、そう感じずにはいられなかった。

できることや興味に目を向けていけば、彼らはモノスゴイ才能を発揮する。

その能力を無力化させてしまう教育環境だとすれば、ギョッとする。

他の人には見えない・感じられない感性や感覚に、驚かされる。

とてつもない純粋でストレートな、優しい感性に ハッとさせられる。

できることや得意なこと、才能を今まで自分で気づかずに、生きていたんだなぁと 知る。

 

そして、

そんな彼らとの出会いは、僕に本当に多様な価値観や時間軸を与えてくれたのだ。

その結果、 現在 学校を選択しない子の支援もしている。

(もちろん、受験や試験に向けて努力する生徒たちの支援も続けている)

 

 

奈良にオルタナティブスクールを創ろうと思ったきっかけも、彼らと出会ったから。

どうすれば、彼らが将来にワクワクできる学びを、幼少期の内にできるだろうか?と考えたら、

その選択肢を創ることだというのが 今の僕の答えだった。

 

 

学校(公教育)に合う子は今まで通りに、

そうじゃない子は 選択肢の一つとして前向きに自分の人生を選べる地域にしたい。

少なくとも、欧米の教育先進国ぐらいに。

 

彼らに必要なことは、

決して すべてを受け入れて甘やかすことでは ない。

無理やり学校に行かせることでも ない。

ここでなら 自分の命を輝かせそうだ と思える環境、そう思える大人の存在 だと考える。

 

 

不登校の親御さんには、その真っただ中のきつい時期にいらっしゃる時には、

まずは家庭が安心できる居場所になるようにと、僕はアドバイスしている。

だけどそれは、甘やかすことではない。

 

人の想いを踏みにじる言動や 自分の可能性をつぶすような言動や習慣に対しては、

僕は厳しい話もすることもある。

そこに、不登校とか学習障害とかは 関係が無い。

 

 

その子の個性を知り、その将来を信じぬく。

それを信じた上で、本気で感動し本気で喜び、本気で悲しむ。

そして、社会の一員であると感じられる環境にする。

 

 

少なくとも、世の中でオルタナティブスクールやフリースクールで、

多くの子達と接していらっしゃる先輩たちは、そのような志と熱い思いを持っていらっしゃる。

そして、公教育で汗を流す学校の先生たちも、

同じく子ども想いの熱い思いを持っていらっしゃる。

 

だからこそ、選択肢を広げて、お互いに切磋琢磨して社会を変えていくことが必要。

選択肢が広がり、どの親御さんも、我が子の個性を否定しなくても良い社会にしたい。

そんな小さな違いに囚われずに、皆で今を楽しみたい。

 

 

長文にお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

塾長 田中章友(自宅教室にて)

塾長 田中章友(自宅教室にて)