「小学生にとって最高の学校って?」
先日、僕個人のFacebook投稿や(こちらの)ブログ記事で、岐阜の不登校児専門公立中学のリンク記事と絵本「バーバパパの学校」について紹介をした。
反響もいただき、皆さんの教育への意識の高さがうかがえる。
絵本「バーバパパの学校」は、
特技をもった先生主体で創り出した多様な(遊びを含んだ)学びの中から子どもたちが主体的に選択できるのが素晴らしく、まさに僕の尊敬する「きのくに子どもの村学園」のように 本当に素晴らしい環境だ。
でも、あくまでそれが「皆にとって」最高という訳ではなく、
さらに子ども達主体で好きなことを探究して、彼らが何かを(大小こだわらず)表現して先生のような存在になるような学校が最適な子ども(のタイミング)も存在する。
そして、暗記吸収のゴールデンエイジである低学年時から中学受験で問われるような幅広く細かい知識・教養を覚えた後にそれを土台として自ら思考する学校もまた、別の子どもにとっては最適だったりする。
つまり、最高の学校というのは、子どもの数だけ、
いやもっと言うと 1人の子どものにとってもそのタイミングによって異なるので、実際には最高の学校は無数にあるのだろう。
一般化して語れるものではないということ。
以前、小・中・高校生・大人の各世代を集めて、このテーマについて話し合ったことがある。 その時もやはり、子どもの求める理想の学校は 僕の書いた通りそれぞれ異なっていたものだ。
そのような考えに立って、僕は自分の塾や里山では、
極力 子ども達の個性を尊重し、彼らの選択を最重要視している。
それらの選択肢が多様に存在することで、社会は豊かで面白くなるからだ。
まずは、僕ら大人が多様な価値観に対して互いに敬意を持つことなんだろうな。
批判ばかりし合っている政治家を見ると、あらためて自分の襟をたださなきゃと思う。
僕自身も仕事が忙しくなりすぎると視野が狭くなるから、今年度は自分が勉強する時間・自分が楽しむ時間をつくると決めている。
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